虚構と欺瞞の世界に生きる

全ての道はイエズス会に通ず All Roads Lead to the Jesuits

たとえ何も変わらなくても声を上げる #LGBTQ差別禁止法に反対します

 

前回の記事で「タッカー・カールソンが帰ってくる」とお伝えしましたが、一向にその兆しがありません。「阻止されようとしている、とん挫するかも」といったアメリカの動画をYouTubeで見たことがあります。他方で、Twitterに戻って来るという古いことをリピートしているだけの動画もあり。タッカーの話題なら再生回数が上がるので、タッカーの最後のツイートをカバーして少しコメントしているだけの動画で、中身がありません。彼にジャーナリズムをやってもらっては困る人たちが何としてでも阻止しているのかもしれません。

 

私の生きがい(the reason for living)は、言葉に感動して生きることでした。自身が何かを創造することには長けていません。だから自身を奮い立たせるために、他人の言葉を求めてしまいます。

私個人のジャーナリズムの目標は、弱い人が抑圧に苦しまないようにすることです。

例えばオハイオ州のパレスティンの化学事故(テロ?)の被害を受けて、吐血などしている地元の夫婦にタッカーがしたインタビューは印象的でした。

タッカーが消えてから、少しでも私のニーズを満たす、私を鼓舞してくれるコンテンツを探しています。

そんなとき、以下の動画を見つけました。

 

更衣室に男性性器を持つ人に入ってきてほしくない、怖い、居心地が悪いといった苦情を学校にした女子が、男性を嫌な目で見たとして逆に「嫌がらせ」「ヘイト」として懲罰されるといった理不尽な状況が起きています。

 

"We've been fighting for women's rights as a nation for a 100+ years at least. I think this is just invation of women's ritghts. It's just in an different form. "

これはある女子生徒の親御さんの言葉です。

「私たちは少なくとも100年以上は、国として女性の権利のために戦ってきました。これ(トランスやゲイが女子更衣室やトイレに入ってくること)は、ただの女性の権利の侵害が、別の形になったものです。」

日本の一部自民党の政治家や野党(特にソロス党、アメリカ民主党特定勢力の傀儡)の、普段人権を標榜する人たち、フェミニストを自称する女性たちが、こういった本物の女性の権利のために戦わず、むしろこんな理不尽な法律を推進する側であるのは、彼らがグローバル支配層の駒であり、グローバル共産主義NWOを実現することでメシウマで、今以上に公金を私腹化できるからです。

異議を唱えられない、唱えると逆に懲罰される一般市民は、そんな彼らの奴隷です。

この動画の中で、「トランスの方が残りすべての女性よりも権利があるみたいだ」と言っていますがそのとおりです。

 


在日外国人へのヘイトスピーチ法により、外国人の支配層が日本人から搾取し、さらに弾圧して反対を封じ込めることが正当化されたのと同じです。弱い者のさらなる奴隷化、抑圧です。

私はソロス財団土井香苗の夫とヒューマンライツナウ局長、その他多数の弁護士を代理人とするSEALDsによって”名誉毀損”という名のSLAPP訴訟をされて酷い判決が出て、家族に「一体それで何になった。私たちに迷惑かけて、自分が酷い目に遭わされただけではないか」と言われて辛い思いをしてきました。また、「高い賠償金が出たのだからよほど悪いことをしたのだろう」というセカンドレイプにもずっと耐えてきました。

「声を出しても何もならないのになぜ声を出すのか」

それが私のテーマです。

今日ご紹介する動画の中で、私よりも35年くらい若い女性たちから、感動する言葉を聴けました。

声を上げると自分の履歴に汚点がつき、交換留学や奨学金をもらえなくなる可能性がある。それでも声を上げたことを後悔しないというのです。

So there are consequences to doing it, but I think it's really important that we are doing it. 

 

I would tell them to speak out, to the superintendent/principal, even if nothing changed(?), it gets the point across that you don't like it, ultimately something could be changed. 

"Good to speak out. Everyone should be heard." 

声を出すのは良い事だ。誰もが自分の意見を他人に聞かれるべき。

 

私のように、反対の声を上げると権力によって容赦なく懲罰されてしまうこの時代、声を上げることは大変危険であり、非常に勇気のいることです。

この若い女性たちが自身を持って正しいことをいい、自分たちの権利が侵害されていることに対して声を上げている。

「たとえ声を出したところで何も変わらなくても」

絶望したまま屈するのでなく、それでもなお声を出すことが重要なのだと私は勇気をもらうことができました。